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【菅代表インタビューvol.1・私とフェンシング】

2024.09/03


「MNHフェンシングクラブ」の設立は、2015年にさかのぼります。もともとは東京ガーデンフェンシングクラブという名でスタートを切り、2023年に運営元(株式会社MNHスポーツ)の組織変更に伴い「MNHフェンシングクラブ」と改名されました。今回は、当クラブの“校長先生”こと菅 喜嗣(すが・よしつぐ)代表に、自身のフェンシングとの関わり、当クラブを設立した経緯や趣旨、今後の展望について伺います。



日頃から当クラブをご利用いただきありがとうございます。
MNHフェンシングクラブの代表の菅です。

今回は2015年から運営している当クラブの始まりやこれからについて、私の方からお話したいと思います。

と、その前に、これを語っている私自身もフェンサーとして、長年フェンシングを楽しんできました。

少し長くなりますが、私とフェンシングの関わりについても触れたいと思います。


基礎連地獄"でも逃げ出さなかった理由


フェンシングとの出会いは、高校1年生にまでさかのぼります。
当時はフェンシングについてほとんど知らず、剣を振りまわすのは映画の世界(*1)だと思っていました。部活動を探していた時に、偶然フェンシング部の先輩に部室に連れていかれたのです。壁にはられた賞状(*2)を指さしながら、一つ一つの戦績の話を聞かされました。

「お前もこれでフェンシングがやりたくなっただろう」と言わんばかりの熱意だったので、いつの間にか「がんばります!」と答えていましたね(笑)。

フェンシング部に入ると、「基礎練地獄」が待っていました。
連日、怒涛のフットワークや走り込み、通称 “電気椅子”と呼ばれる脚の筋力トレーニング…などなど。帰りは疲れのあまり、途中の公園で眠りこけてしまった時も。でもすぐに辞めるのは嫌で、ねばってついていきました。15人ほど入部した1年生の中で、残ったのは私を含め5人でしたね。

さて突然ですが、みなさんは、フェンシングっていったい何がおもしろいと思いますか?
端的にいうと、フェンシングとはチャンバラなんですよ。

「パン!パン!」と新聞紙で叩き合いながら、すきを見て相手の体に打ち込んでいく。そんな駆け引きが競技に進化しただけで、本質は「チャンバラの楽しさ」だと思っています。このたまらない魅力があったからこそ、きっと私も厳しい練習に耐えられたんでしょうね。


「勝つ」ために純粋につき進んだあの頃

強豪校特有の「全国制覇」という目標のもと、高校3年生の時にインターハイ(全国高等学校総合体育大会・団体フルーレ)に出場することになりました。しかし、大阪・清風高校に1回戦であっけなく負けてしまったのです。すごく悲しくて、メンバーとともにずっと泣いていました。

その時に、同じ宮城県出身のとあるフェンサーが、肩を叩いてなぐさめてくれました。それが、日本フェンシング協会の現会長の千田健一さんです。その時おっしゃっていただいた「君たちはよくがんばった」の一言で、本当に救われましたね。

インターハイ後、受験期に入り部活動を辞める友人がほとんどだったものの、私だけは年末までフェンシングを続けていました。先輩がいない自由もありましたし、何よりフェンシングがおもしろくなってしまったのです。そして、ようやく厳しい基礎練習の成果が出てきたのか、仙塩大会で準優勝(個人戦・フルーレ)を果たすことができました。

大阪大学入学後は、もちろんフェンシング部に入りました。

高校時代から一転、私のフェンシング人生の中でも“黄金時代”でしたね。フェンシングの経験者が少なかったため、自ら勧誘して部員を増やしたり、みんなを指導したりして、部を牽引していく手応えもありました。

そして、関西インカレ(関西学生フェンシング選手権大会・個人戦・エペ)で優勝、全国のインカレ(全日本学生フェンシング選手権大会・個人戦・エペ)で6位入賞。全国国公立大学フェンシング選手権大会では、団体戦・個人戦ともに優勝を果たすことができました。

「勝つ」ために純粋につき進み、情熱を注ぐほどに結果もついてくる。
今振り返っても、胸が熱くなる楽しい日々でした。



大きな舞台に挑戦していく

ところが、社会人になると、だいぶ状況が変わってきてしまったのです。
起業してビジネスを始め、とてつもなく忙しくなってしまったので、フェンシングを辞めざるを得ませんでした。

それから10年間という長い年月を経て、35歳になった頃。
当時経営していた会社(*3)が安定してきて、ようやくフェンシングをできるようになりました。

杉並区のフェンシングクラブ(*4)に通い出したのですが、はじめは自分よりずっと年下の女子高生と試合をしてもまったく勝てなかったのです。腕が落ちたことに愕然としましたね。とはいえ、仲間と定期的に汗を流し、わいわいとお酒を飲んだりもして、それなりに楽しく取り組んでいました。

転機となったのは50歳。世界ベテラン選手権大会の代表選考会に参加した時です。

予選でギリギリ4位に入り込むことができました。「もう少しフェンシングに力を入れていこう」と自分の中で大きな“弾み”がついたのを覚えています。

そうはいっても、海外での試合のレベルはとても高く、試合慣れしているヨーロッパの選手を前に、歯が立たないような状態が続きました。そして、3年目のクロアチア大会でようやく1勝。少しずつですが、結果を残せるようになりました。

日本での予選に通過できない時もあったものの、今までに通算10回ほど世界の舞台で戦うチャンスを得ました。そのほかアジアベテランフェンシング選手権大会で準優勝を3回、40歳から出場できる全日本ベテランフェンシング選手権大会で、60歳の時に優勝することができました。

このように、大きな舞台に挑戦していくことは、今や私の中でライフワークになっています。


相手を恐れないこと

フェンシングは、気持ちのコントロールがとても大事です。
試合の状況がどうあれ、動じずに冷静でいないと、勝つのは難しいのです。

これまで経験を積んできて、一番大切だと思うのは「相手を恐れないこと」でしょうか。

自分より強そうな相手でも、どんな人でも恐れない。恐れると身体が硬くなって反応が遅くなり、結果として相手の術中にはまってしまいます。

もう少しいうなら、「侮らず、焦らず、慌てず、諦めず」かな。

まず、試合前に相手を「こんなレベルだろうな」と侮らない。リードされても焦らないし、何があっても慌てない。そして言わずもがな、最後まで決して諦めない。

うーん…言葉でいうのは簡単なのですが、そういう状況をいかに普段の試合で作れるかは、本当に難しい。私自身も毎回思うようにいかないことが多いし、その分、気付きや学びがあります。

フェンシングは、本当に楽しいし、人生を豊かにしてくれますね。

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(*1)フランスの映画『怪傑ゾロ』シリーズ。黒覆面の騎士ゾロが華麗な剣さばきで悪に挑み、民衆の英雄となるストーリー。
(*2)宮城県の仙台第一高等学校は、当時全国制覇を4回果たしていた。
(*3)菅代表が創業した、大手生活雑貨メーカーのノルコーポレーション。その後、菅代表は2008年に株式会社MNHを創立した。
(*4)杉並区にある杉並フェンシングクラブ。

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