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【大久チーフコーチインタビューVol.2】目標を持つ楽しさを忘れられず、ライフワークに~高校時代からコーチになるまで~

2024.03/12


フェンシング漬けの寮生活で、オリンピックを夢見る

その後、スポーツ強豪校で知られる埼玉栄高校に入学。
寮生活をしながらフェンシング部で練習に打ち込みました。

それまでの週3回の練習から、週7日の練習へ。
瞬発力のための「走り込み」の特訓も増え、文字通りフェンシング漬けの毎日でした。
その分、実力は確実に伸びた気がします。

「全国制覇を目標とするのが当たり前」という校風の中、
部活動の仲間たちがめざすのは、とにかく「勝つこと」
オリンピック選手に憧れる友人に囲まれ、僕も自然にオリンピックを夢見ていました。

一度、スランプに陥ったことがあったんです。
いつも余裕で勝てていた相手に勝てない。誰とやっても勝てない…。
先が見えずとても苦しかったです。スランプを脱出できたきっかけはもう覚えていませんが、練習だけは地道に続けていましたね。

全国高校総体(インターハイ)では5位をおさめました。
ただ、掲げる目標は優勝だったので、悔しい想いは残りました





王座決定戦でついに優勝!男泣きした瞬間

フェンシングのスポーツ推薦で明治大学へ入学した僕は、
早速1年の時に、ジュニアU-20(*1)に挑戦。が、ギリギリダメでした。

ちなみにこの頃、ちょうど太田雄貴選手が北京オリンピックで銀メダルを取りました。
その奮闘ぶりが広く報道され、フェンシングの認知度が一気に上昇したのです。

そんなフィーバーの中、僕ら明大はリーグ戦(団体戦)の2部で、なかなか上にあがれず足踏み中。
3年生の時に強い新人が入ってきたことで、入れ替え戦で1部リーグへ。
その後、4年生の時には王座決定戦(*2)までこぎつけ見事優勝しました。

1部に上がりたての僕らが、優勝を獲得するのは、正直かなりのハードルがありました。

「まさか優勝するとは思わなかったけど、諦めないで目標を追い続けてきて良かったな」。

そう言って、仲間3人で男泣きしたのです。




フェンシングを続けるには「警察官」にならねば!?

今でこそ、企業のスポーツ枠を利用してフェンシングを続ける道も拓かれてきた日本。
僕が大学を卒業した2011年頃は、まだそういった環境は用意されていませんでした。

その時、フェンシングを続ける唯一の道は、警視庁に入ること(*3)。

何度受けても受からず、諦めて東京のIT企業でSEの道を歩み始めました。
心残りはあったものの、仕事の忙しさもあり、フェンシングのことは一旦頭からなくなっていきました

しばらく働いた後に会社を辞め、宮城の実家に戻って、スポーツジムでアルバイトを始めました。
そのジムで、ロンドンオリンピックでメダルを取った人と出会ったのです。

彼が教えるクラブに遊びに行ったり、時にフェンシングをしたり。
少しずつフェンシングが、また生活に入り込んできたのです。

そして、ひょんなことからフェンシングの事業を始めようとしていた派遣会社に誘われ、入社。

やっとフェンシングに関われる

若き日の熱い想いが込み上げてきたのを覚えています。

しかし、その事業の準備を進めていた矢先に、コロナ禍に突入。
あろうことか、その事業が全部おじゃんになってしまったのです。
まさに晴天の霹靂でした。

そして、派遣会社つながりで、今度は施工管理の会社に転職。
3年経ってコロナが収束し、スポーツ業界が再び賑やかになってきたタイミングで、今までの心残りが熱い想いとして蘇ってきたのです。

やっぱりフェンシングの仕事をやりたい」

そして、ご縁あって、MNHフェンシングクラブのコーチになったのです。


(*1)17歳〜19歳の日本代表を決める試合。
(*2)関東の大学と関西の大学が最後に勝敗を決める試合。
(*3)1970年に警視庁第四機動隊にフェンシング部が発足した。






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